日本だけの。。。「DULLES BAG(ダレス バッグ)」

最近、改めてちょくちょくお店でも見かけるようになった「DULLES BAG(ダレス バッグ)」。

 

ついつい海外で気づかず使ってしまう和製英語の数々。。。

ノートパソコン → ラップトップ

コンセント → ソケット

フロント → レセプション

などなど

 

そんな数々の和製英語とはまた一味違い、「DULLES BAG(ダレス バッグ)」は日本の歴史と共に生まれた名称であるようです。

 

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「ダレスバッグ」の名の元になったダレス(Dulles)とは、米ワシントンD.C.のダレス国際航空に名を残すジョン・フォスター・ダレス(1888-1959)のことである。彼は弁護士で、当時のトルーマン大統領から極東問題担当の国務省顧問に任ぜられ、日本との講和条約をまとめるための特使として、1950年(昭和25年)から翌51年末までのわずか1年半の間に4回も来日している。そこで彼は、当時の吉田茂首相と交渉に当たったわけだが、国民はその行方を、固唾を飲んで見守ったのである。

 

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その後、1953年から59年まで、ダレスはアイゼンハワー大統領の元で国務長官を務めるが、わが国にとっては米国の特使として来日したときの印象がとりわけ強烈だったとみえて、彼の持つバッグにまで着目、だれ言うとなく「ダレスバッグ」と呼ぶようになったようだ。ちなみに、ダレス特使がこのようなバッグを持ち込んだのは彼が元々、弁護士だったからで、米国ではこの種のバッグを、一般にお医者さんの往診用のバッグから「ドクターズバッグ」とか、弁護士が多く持ち歩くので「ローヤーズバッグ」とか呼んでいる。この種のバッグを「ダレスバッグ」と呼ぶのは、どうも日本だけのような気がする。

 

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ダレス特使のバッグに注目が寄せられたのは、もちろん、その中身だ。日米講和条約の内容によっては、日本も朝鮮戦争に狩り出されないとも限らなかったのだから、お互いに真剣にならざるを得ない。それがいつの間にか、中身よりもバッグのデザインと機能性に関心が寄せられるようになったのだから、平和のうちに解決したということだろう。同時にダレス特使の、いかにもタフ・ネゴシエーターといった感じの知的でクールなイメージが、バッグのイメージと重ねられて大きな印象を残したに違いない。

 

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ダレスバッグに知的なイメージと重厚さ、持つ人の地位の高さなどを重ね合わせるのは自然なことだ。もちろん、そのルーツがドクターズバッグやローヤーズバッグにあることにもよるが、国と国との重要な交渉ごとの書類を収めたバッグなのだから、そこには最高の権威と格式が込められて当然だったのである。

当時の日本国民がダレス特使のバッグに見たのは、戦後の日本の未来であり希望であり、「彼ならきっとうまくやってくれるだろう」という安心感ではなかったろうか。

 

バッグにはそんな力があったというお話です。。。